+++ 66歳、自転車と徒歩での四国遍路の旅 +++
遍路旅の概略。
8月20日、自転車で出発し、21日午前10時40分、徳島に到着。
弘法大師の月違い命日、21日に初めての御参りが出来たことはことのほか嬉しい。その寺院は、1番札所霊山寺奥の院、東林寺だった。以来およそ50日、10月6日に88か所の88番札所大窪寺を打ち、88か所は結願。この日は、爺っつぁんの所の月例念仏会の日、6日だったことも機縁ではなかろうか。翌日の7日に別格20番札所大滝寺を打ち、8日に、別格20番札所の1番大山寺を打ち終え、一番札所霊山寺にお礼参りに行き、9日の高野山参り、と言うことになった。ちょうど出発して50日の遍路旅だった。
そこで、今回の遍路旅でお参りした寺院名をここに記しておきたい。
88か所と別格20番札所はすべて打ったのでここでは省略する。(別格20番で検索してください)
これらの108ヶ寺以外に爺っつぁんは番外霊場を打っているので、ここでは爺っつぁんが打った番外霊場だけ紹介させてもらいます。
1)東林院(種蒔大師)
2)十林寺
3)愛染院
4)五百羅漢
5)小豆洗い大師
6)杖杉庵(じょうさんあん)
7)善覚寺大師堂
8)建治寺
9)地蔵院
10)峰の薬師法谷寺(ほうこくじ)
11)弘法大師お杖の水
12)お京塚
13)取星寺(しゅしょうじ)
14)月夜お水庵
15)弥谷観音(いやかんのん)
16)小松大師
17)草鞋大師
18)古目大師
19)明徳寺(東洋大師)
20)佛海庵
21)御蔵洞
22)観音窟
23)八流山極楽寺
24)観音寺
25)石見寺
26)真念庵
27)白皇神社
28)送迎庵見送り大師
29)道引大師
30)於久万大師
31)札始大師堂
32)杖ノ淵
33)宝厳寺
34)遍照院
35)青木地蔵
36)別宮大山祇神社
37)龍泉寺
38)梅檀寺(世田薬師)
39)竹林寺
40)八十場の水
41)松浦寺
42)屋島御加持水
43)食わずの梨
44)地蔵寺
45)霊芝寺
46)玉泉寺
47)穴禅定
48)灌頂の滝
49)海岸寺奥の院
50)佛母院
以上、五十ヶ所にお参りしましたので、今回の遍路旅では、百五十八ヶ所にお参りしたことになります。
五十か所と所を使ったのは、お寺の形をなしていないお堂や、お堂もなく石仏だけの所もあったので、所と表示いたしました。
2008年10月14日(火)
No.74
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徳島から和歌山、高野山、自宅
早朝、徳島市のビジネスホテルで目を覚まし、7時頃、フェリー乗り場に向かって出発した。フェリー乗り場までおよそ5キロだが、知らない道であり、余裕を見て出発した。道に迷ったこともあり、8時前に乗り場に到着した。出港は8時15分だから、切符を購入し、乗り場に着いてほどなく乗船、と言うことになった。
船に乗り、朝食の弁当を買って食べている時に、フェリーは岸壁を離れた。船が離れる時、爺っつぁんは既に四国を離れて本土に戻ったような錯覚を覚えた。霊場を回り終え、もうすぐ帰途に就く、と思った頃から心の中では四国から本土に戻る準備が着々と進んでいたのかもしれない。2時間の船旅は、それを確定づけるに十分な時間だったようだ。
船が和歌山港に着き、デッキが開いた時、文空さんの姿が見えた。この時の感慨は、文空さんの言葉を借りれば、
「彼岸から此岸へ…。」というのがぴったりの言葉のように思えた。
つまり、8月21日、始めて四国に着き、遍路最初の一番霊山寺の奥の院・東林寺での参拝の折、自分の故郷、母の懐に帰ったような気持になったこと自体、爺っつぁんにとっては彼岸に至ったような感慨に陥ったと言ってもよかろう、と思う。
そして今日10月9日、船に乗った時点から、非日常から日常への復帰と言う気分になったことは言うまでもない。
文空さんの出迎えを受け、高野山に登った。爺っつぁんにとって、高野山は初めてだ。奥の院に向かう途中、多くの墓地があり、特に江戸時代の大名の墓地の多くを目にした。その多さに驚いちると、文空さんが、なぜこのように大名の墓地が多いかについて説明してくれた。いつも思うのだが、文空さんの博学には驚くばかりだ。
奥の院に着き、お大師さんに、お四国巡りを成就したお礼のお勤めをした。そして金剛峯寺に参拝し、高野山を後にして自宅に戻ったのが8時を過ぎるころだった。
先ずは阿弥陀さんと先祖に、無事遍路の旅が終わったことの報告とお礼の念仏をした。50日間にわたる遍路旅もこれですべて終わったことになる。しかし、人生の遍路旅はこのままいつまでも続くことは言うまでもない。
2008年10月09日(木)
No.73
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別格札所1番と札所1番
今日打ったのは、別格札所1番大山寺と88か所札所一番霊山寺だ。
鴨島の旅館の御池を出発し、丹波から応援に駆けつけてくれる髭さんとの待ち合わせ場所に急いだ。自動車を止め、待ち合わせの食堂のご主人に、「自転車で行けますか?」と聞いたところ、即座に、「それは無理。」と言われた。そう言えば、遍路二日目に、民宿の女将からも「自転車は無理だし、雨の日に登ることは危ない。」とまで言われ、上る予定の日に登ることを止められたので、今回の最後の挑戦となったのだ。
難所と聞いて、髭さんの気持ちに火がついたのか、別格札所1番と88か所の1番を打つと、今日来られることになったのだ。
髭さんはこの前、85番八栗寺を徒歩で打ったが、もっと厳しいところを、と、今回の参加となった。同時に、昨日から援護に来てくれているのぶさんも爺っつぁん、髭さんと共に打つ、と言う。
髭さんの言を借りれば、「この前打った八栗寺よりは手ごたえがあった。」と。山を下っている時、歩き遍路の青年が、息も絶え絶えに上ってきた。まだ、一日二日しか歩いていない、と思われるのに、相当疲れているように思えた。彼が、満行することを願っている。そして髭さん、信さんに感謝の他ない。
坂を上り終わり、山門を入る前にまず食事。山門の横に座り込み、買ってきた弁当を広げた。今まで、いわば必死に打ってきただけに、少しばかりハイキング気分になってきた。それもそうだ、八八ヶ寺全てを打ち、別格札所二〇ヶ寺も今打たんとし、他にもたくさんの番外霊場打ってきたのだから、終わった、と言う気持ちになったのかも知れない。故に、ハイキング気分になったのかも。
同時に、爺っつぁんの気持ちを和らげようと、髭さん、信さんの心遣いかも。
急な階段を上り詰め、参拝を済まし、髭さんと二人、八八か所の一番札所霊山寺を打ち、爺っつぁんの四国遍路曼荼羅図は完成した。そして、髭さんの亡き奥さんの霊にもお祈りをすることができた。
明日は、朝八時過ぎのフェリーに乗り、和歌山に向かう。和歌山には、文空さんが迎えに来てくれることになっているので、高野山に向かい、今回の遍路満行の報告をする予定だ。まだ、このブログが続くかもしれないが、今まで温かく見守っていただいた皆さんにお礼申し上げたい。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
2008年10月08日(水)
No.72
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札所108ヶ寺中最高峰の寺、大滝寺
本日打ったのは、札所108ヶ寺中最高峰の寺、大滝寺を打った。
昨日は88番札所の結願寺、大窪寺を打ち終え、残るは、別格札所20番大滝寺と別格札所1番の大山寺となった。大山寺は明日の予定なので、今日は大滝寺を打つことにしている。大滝寺は、108札所の中の最高峰に位置し、標高は920メートルだ。
昨夜泊った竹屋敷から、夏子ダムにそこから大滝寺に向かうコースを選んだ。夏子ダムまでの7-8キロは下りばかりで、自転車にとっては楽な道路だったが、夏子ダムから大滝寺までの15キロは、坂が続く。その坂を、自転車を漕いで登るのだが、今日はいつもより楽だ。と言うのは、のぶさんが、荷物を取りに竹屋敷に立ち寄り、自動車で運んでくれることになっているからだ。
途中から雨模様になってきて、走りにくくなってきたが、およそ半分ほど登ったところで、のぶさんが自動車で追い付いてくれた。雨が降っても休憩するのに、車は最高だ。しばしの休憩をして、再び自転車を走らせる。
頂上から3キロほど手前から激坂になったので、押して上がったり、乗って上がったり。およそ3分の2を押して登り、ようやく頂上に着いた。
さすがに山頂は寒く、吐く息が白く見え、高いところまで来たことを実感した。大滝寺では、大師堂を建て替えていて、本堂にお大師さんを移設している、と言う。鐘を突こうと、鐘楼に向かって驚いた。鐘突き堂は鉄骨でできていて、それにも錆が来ていた。今までの寺院で見た鐘楼とは大いに異なる。別格になると参拝者も少ないのだろうか。でも、大師堂の建て替えをしておられたので、一面安堵した。
冬には積雪のため、参拝者もまばらだ、という。個々大滝寺は、難所中の難所、と言われているが、明日打つ予定の、別格札所1番大山寺も難所の一つだ。大滝寺から夏子ダム、つまり県道193号線まで下ったが、よくぞこれだけの道を登ったものだ、と、自分ながら感心した。
そして、193号線で脇町に出て、今夜の宿泊地を考えた。明日は大山寺を打つので、その近くを、とも考えたが、遍路の数日目に泊まった鴨島のおいけ旅館に泊まることにした。ここの主人とは、何か縁があり、泊まった後何度もお会いしているから、ここに泊まろうと決めるのに時間はかからなかった。
2008年10月07日(火)
No.71
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88番大窪寺を打った!結願!
本日打ったのは88番の結願寺、大窪寺だ。88か所としてはここ大窪寺が最終の寺院となるが、四国88か所を曼荼羅に例えれば、一番を打ってはじめてこの曼荼羅絵が完成することになる。したがって、後日一番を再度打つ予定。
だらだら坂を上っていると、同じ自転車遍路が、「きつい坂ですね。」と声を掛けて追い抜いて行った。そして、昨日チャーリーさんと立ち寄った「遍路交流サロン」の方が、お茶でも飲んで行かれれば、と誘ってくれたので再び立ち寄り、明日打つ予定の大滝寺への道順を聞くことができた。交流サロンの方が、竹屋敷で2泊の連泊は無駄だ、と教えてくれたので、明日は大滝寺を打った後、193号線で徳島の脇に出ることにした。そうこうしている内に、88番の大窪寺に到着した。
大窪寺の山門は新しくて大きいと思っていた。本堂を参拝し大師堂を参拝し、納経所から寺の下(来た道とは異なる)を見ると、古いこじんまりした山門らしきものが目に入った。そこをくぐり、振り返ってみると、この古い山門が本来の山門らしいと思った。この門の前には門前町のように数軒の店が客寄せをしていた。接待にお茶を出したり葛湯を出したりと。
総じて結願寺大窪寺は、最後の札所らしく、威厳をもっているように感じた。しかし納経所にはアルバイトしかいないのか、最後の札所にしては物足りない。
しかしいずれにしても、この札所を打つことで、結願したことになるのだ。その意味では、この寺を打つことで、88か所参りの大きな目的は達することになるのだ。
今までの爺っつぁんの体験からして、大きな目的を達成したときには、心は喜びに満ち、飛び跳ねたいような気持になったものだ。その目的を達するために、苦難を超え、限界に挑戦し、その道のりが厳しければ厳しいほど、そこから得られた喜びは大きかった。
しかし、四国を廻り、厳しい道のりを克服し、激坂を足を引きずりながらも上り切り、体力の限界と思えることを体験して廻った88か所。
その88か所をすべて打ち終わっても、これと言う感激もなければ、喜びもない。ただ、打ち終わった、と言う事実のみを感じるだけである。
これは一体何を意味するのか。
自分の体力を超えていると思える激坂を上り切り、山門を目の前にした時もそうだった。上った、と言う事実のみで、上り切った喜びも別にない。そのことに疑問を持っていた爺っつぁんは、個々の寺院を打つことが目的でなく、88か所すべての寺院を打つことが目的なのだから、最後の札所大窪寺を打てば、その感激を味わえるかも、と思っていた。しかしそれもなかった。
だからと言って、ここまでの道のりが容易だったわけではない。爺っつぁんの能力を超えていたことは確かだ。なのに……。だが、爺っつぁんのしてきたことに対する満足感はある。
宿は、大窪寺から3キロほどの所にある旅館竹屋敷に予約をしていた。温泉旅館で、満室だ。大窪寺に近いこともあり、ここでは結願膳なるものが出る。ご覧のように赤飯が乗っていて、この他にキノコや野菜を主としたてんぷら、茶碗蒸し、最後に山菜炊き込みご飯と松茸入りの吸い物が出た。爺っつぁんにとっては豪華すぎたが、刺身の所にはこんにゃくの刺身があり、ベジタリアンとしても十分なほどだった。だから、魚類と肉類を口にしなかった。久々に本来の食事ができた気分だ。
2008年10月06日(月)
No.70
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86番志度寺、87番長尾寺
今日打ったのは、番外霊場地蔵寺、86番志度寺、番外霊場霊芝寺、番外霊場玉泉寺、87番長尾寺の5ヶ寺だった。
今日はチャーリーさんご夫妻と親戚の女性が、爺っつぁんの応援に、志度寺まで駆けつけてくれた。朝11時に志度寺で会う約束だったので、ホテルを10時前に出発、志度寺の手前にある番外霊場地蔵寺を打ち、志度寺に向かった。志度寺に着いた同時刻、チャーリーご夫妻も志度寺に着かれ、一緒に志度寺を打つことにした。打ち終わったのは11時半になっていたので、自転車を置いたまま、うどん屋さんに行った。讃岐に着いて毎日一食はうどんを食べていることになるが、まったく飽きることはない。
食後、チャーリーさんは雨だと言うのに、持参してきた自転車を下ろし爺っつぁんと並走することになった。
探しあぐねて、やっとのことで番外霊場霊芝寺を打つことができた。霊芝寺は広い境内を持つ寺院だが、番外霊場と言うことと、87番札所長尾寺への道筋から遠回りになるため、めったに訪れる人がいないのではないかと思えた。と言うのは、線香立ての灰が固く固まっていて、線香を立てるのが難しかったからだ。
その後、番外霊場玉泉寺を目指し、チャーリーさんは、爺っつぁんの先を走り、道案内をしてくれた。やはり若いだけあって、すいすいと先を行くが、爺っつぁんはよたよたと後付いて走って行った。玉泉寺にた着き、参拝のため、本堂の前に立った時、本堂の障子が開き、「どうぞお参りください。」と、女性の声がした。納経の準備も既にできていて、相当の御参りがあるのかもしれない。札所の中間にあるため、参拝者も多いのだろう。納経をお願いし、次の札所に向かおうとしていると、我々への接待として、缶ジュースを4本いただいた。
一日中雨は止むことなく、びしょびしょになりながら87番長尾寺に着いた。参拝後、民宿ながお路に自転車を止め、遍路交流サロンに向かった。遍路の歴史や各種資料が展示されていて、遍路に興味がある者には参考になる資料館とも言えるものだった。
そして民宿ながお路に戻り驚いた。昨日も髭さんとうどん屋へ行った時に会った女性遍路が、同じ宿にいたからだ。
チャーリーさんらと共に食事をし、楽しい一日を送ることができた。今回の遍路の旅中、文空さん、あさひさん、のぶさん、ゆう君、髭さん、チャーリーさんご夫妻、その親戚の方、そしてもう一人…、と多くの方が爺っつぁんのもとに駆けつけてくれた。その甲斐あって、いよいよ88番も目の前となり、番外札所も二つ残すのみとなった。感謝に堪えない。
2008年10月05日(日)
No.69
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84番屋島寺と85番八栗寺
今日打ったのは、84番屋島寺、番外霊場屋島加持水、番外霊場食わずの梨、それに85番八栗寺だった。
今日は髭さんがわざわざ丹波から来てくれると言うので、楽しみにし、ゆっくりできるように、主要寺院は二ヶ寺とした。そして待ち合わせ場所には、八四番札所屋島寺だったので、八時過ぎにホテルを出て、自転車を屋島の麓に止め、歩き遍路道を徒歩で登った。
今まで、激坂や遍路道を登るときに追い抜かれていたのはお歩き遍路や自転車遍路だったが、屋島は違った。土曜日と言うこともあり、地元の方が散歩として屋島寺に登っているのだ。爺っつぁんの上りの速度が遅いので、その多くの人に追い抜かれ、足の弱さを再確認した次第。そして九時過ぎに頂上に到着、すでに髭さんは駐車場で待っていてくれた。駐車場からは山門を通らないので、髭さんに山門から再度屋島寺の境内に入ってもらった。
屋島寺は観光地にあるので、バス遍路が多いと思っていたが、予想に反して静かで、ほとんどの人は自動車で来ているようだった。久々に会うが、爺っつぁんの近況はブログや掲示板で見てもらっているので、話に飛躍はない。のんびりとして、一〇時半頃に山を下りた。
爺っつぁんは、歩いて下り、髭さんは自動車なのでその速度に差はあるのは当然だ。爺っつぁんが、自転車に荷物を取り付けている時、その場所まで自動車で来てくれ、ホテルまで競争するように戻った。下りは自転車も早いのだ。
そして、早い昼食を食べにセルフのうどん屋に行った。
そのうどん屋に、室戸からしばしば顔を合わす女性遍路が食事をしようとしていたので、席を同じくして、しばらく話に花が咲いた。
食事を済ませ、八栗寺のケーブル乗り場の駐車場で待ち合わせ、歩き遍路用の道を共に歩いた。作務衣に雪駄姿の髭さんは、爺っつぁんの前を歩いていく。後を追うように、爺っつぁんは八栗寺を目指した。この遍路道は、今までの遍路道と比べると、それほど急ではなく、歩きやすい部類に属するだろう。
参拝を済ませ、歩いて戻っていると、接待します、と言う声に誘われ家の中に入ったところ、そこでは組みひもの展示会をしていた。なにか、キャッチセールスに捕まったような気分で、あまり気分のいいものではなかった。
また詳しくは髭さんのメッセージを画像掲示板でご覧いただきたい。
2008年10月04日(土)
No.68
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番外ブログ??
先日打った番外霊場での話です。
寺の前には墓地があり、その墓地も6-700基、いや1000を超えるほどの墓が立っている。墓地には5-6組の人が来ていて、掃除をしたり、花を生けたりしていた。
その横を通って、お寺に向かった。山門への道は通れなくしているので直接境内に入った。
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大師堂にお参りしようとして驚いた。大師堂の周り廊下は朽ちはて、一部床が抜けている。このお堂の中に入ってお勤めしているのだろうか。そうは思えない。あまりにも危険なのだ。もし語ら無住かも、そう、爺っつぁんは思った。
そして後ろの山門を見た。山門の屋根の一部に青いビニールシートが張ってあるが、見える所の屋根瓦は剥がれて落ちていたり、穴があいている。柱はもちろん腐っていた。なのに、不思議に大きな釣鐘が掛ったままになっている。
一人の老人が話しかけてきた。
「この寺は、昔から由緒があって、ありがたいお寺なんです。でもこんなになってしまいました。今の住職と檀家の話し合いが出来ないのです。檀家は300軒あるのにこの有様です。」と。
檀家は墓を掃除し、信仰心は持っているらしいのに、…。
大師堂もお寺も、住職のためと思うと、いろいろ問題も生じるだろうが、弘法大師のため、阿弥陀さんのためと思えば、互いに話し合えると思うのだが。
2008年10月03日(金)
No.67
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本日は3寺院のみ
今日打った所は、別格札所19番香西寺(こうさいじ)、82番根香寺(ねごろじ)、83番一宮寺(いちのみやじ)の3寺院のみでした。
荷物を旅館に預け、身軽になって先ず別格19番の香西寺を目指しました。あちらこちらに道しるべが出ているので、迷うことなく香西寺に到着しました。早朝にもかかわらず、すでに参拝者がいたらしく、燈明と線香が供えられていた。
そして納経所にはご住職がいて、「朝早くからご苦労さんです。どこからお越しで…等」、話しながら納経をしてくれた。
多くの納経所では、アルバイトか?と思われる人がいて、事務的に納経しているにすぎない。やはり事務的でなく、心からお迎えする、という気持ちを持って遍路に接してもらえるなら、遍路の気持ちももっと癒されるのではないか、と、思った次第。
香西寺は、寺院としてはよく纏まっていて、多くの信者がいることをうかがわせていた。
香西寺から82番根香寺に向かった。根香寺は山上にあることは分かっていたので、それなりの覚悟はしていた。そして上り坂になったところに、根香寺まで4キロの表示があった。もっと長い坂を予想していたので、ちょっと拍子抜けがし、そのせいか、この緩い上りが爺っつぁんにはたまらなく長く感じた。長く感じてはいるが、時計を見ると、予想通りだ。このギャップは、疲れを感じさせるようだ。
時間としては早く、気持ちとしては疲れ切って根香寺の山門に着いた。山門を入ると、まず下りの階段が2-30段あり、そして再び上りの階段がある、と言う、今までの札所にはなかった構造だ。
そして、本堂にお参りする者は全て、万体観音の祀られている部屋を通り、参拝を済ませた者は逆の方向にある万体観音を祭っている部屋を通って、本堂から出ることになっている。そしてこの部屋は薄暗く、しばらくしないと目が慣れない。そして角を曲がると、ぱっ、お明るくなって本堂が目に入るのだ。
参拝を終わって大師堂に向かう時、以前室戸から神峯寺でよく出会った、千葉から来ている、と言う若い女性遍路にあった。しばらく話し、またどこかで会うでしょう、と、別れた。
根香寺から十数キロで一宮寺に着いた。車の頻繁に通る道路を走るので、気が抜けない。やっと、一宮寺に着き、周りを見ると、都下の中の田舎、という感じがする静かな場所にあった。
そこから、屋島に向かうのだが、これが大変だった。歩道を走っていると、突然陸橋が現れ、その周りには横断歩道がないのだ。自転車を押して登るようにとの表示がある。爺っつぁんは別に抵抗するわけではないが、軽車両は車道の左側を走るのが原則なので、車道に出てその交差点を通り越した。
すると、今度は歩道が地下道になっていて、そこにも自転車は地下道を走るように、との表示が。まったく自転車のことは頭にない。
そんなこんなで、疲れきって、屋島の麓にある屋島ロイヤルホテルに着いた。インターネット発出来るし、価格はビジネスホテルよりも安く、全てが快適だ。明日は髭さんが来るので、楽しみにしている。
2008年10月03日(金)
No.66
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親しみを込めた天皇さん。
10月2日に打ったのは、79番高照院、番外霊場八十場の水、番外霊場松浦寺、81番白峯寺、80番国分寺の5か所だ。
遍路地図には、79番高照院(こうしょういん)と書いているので、「高照院はどのように行けば?」と聞いても誰も「え?」と、問い返すだけでらちが明かない。それで、「79番の高照院ですが」と聞き返すと、「あ、天皇さんのことですね?」と言われた。天皇さんと言われたのは一人や二人ではなかった。
この地域では、保元の乱に敗れ、讃岐に流された崇徳上皇に対し、特別な感情を持っているのではないか、と思わせられた。それがこの親しみを込めた「天皇さん」の一言に含まれているのではないかと…。
高照院の近くに番外霊場八十場の水(やそばのみず)があると言うので訪ねてみた。山肌からこんこんと清水が溢れ出ていて、水場に向かって左側に大師堂があり、右側には二十人ほど座れる床几が置かれ、そこでところてんを食べることもできる。その雰囲気から、この八十場の水には、多くの人が訪れるだろうことを予想させてくれる。聞くところによると、七十九番の元の札所がここにあったと言う。爺っつぁんもこの水場の水をボトルに一杯入れ、今日一日飲ませてもらった。
いよいよ今日の難所の一つ、白峯寺を打つことになった。だらだらとした上りが続き、しだいしだいに足の疲れが出て、止まっては休む状態が続いた。そして、遍路道に行きついたので、そこに自転車を置き、徒歩で登ることにした。だいぶ上ったと思ったら、延々と続く階段が目に入った。
先日の弥谷寺(いやだにじ)に匹敵する階段だ。その階段を上り切ると、そこには「崇徳天皇陵」があった。その天皇陵を左に見て少し先に白峰寺があるのだ。そして、この階段に沿って、崇徳上皇の歌が、石碑に刻まれて並んでいた。
本来なら七十九番の後八十番の国分寺を打つのだが、爺っつぁんはここだけは七十九番、八十一番、八十番と打った。だから、最終の訪問地は国分寺だった。
今日の夕食の時に思ったのだが、昨日のホテルでも今日の旅館でも、同じようにひとつのテーブルに数人ずつが座って食事をする。
昨日のホテルでの食事の時、爺っつぁんが食堂に入った時、すでに数人が食事をしていた。それで、「こんばんわ。」と声をかけたが誰一人として声をかけない。彼らは遍路ではなく、仕事で来ているようだった。
それに反し、今日の夕食は話が弾んだ。遍路と言う共通意識で。
2008年10月02日(木)
No.65
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