日本六古窯

日本六古窯は中世六古窯のことで、最近の研究では中世二十数窯とも言われ、その数は増えている。しかし、
かって言われていた日本六古窯は中世の代表的な窯に変わりはなく、ここでは、六古窯つまり、信楽、備前、
丹波、越前、瀬戸、常滑の窯場について説明する。その前に、中世古窯の全ては須恵器、土師器、瓷器のいず
れかの系列に属しているので、先ずその説明からはじめる。
須恵器、土師器、瓷器
須恵器(すえき)は、5世紀の中頃朝鮮からその技術がもたらされ、わが国において焼かれた無釉硬質土器
のことを言う。焼成温度は摂氏1100度から1200度程度で、還元焼成をしていた。還元焼成というの
は酸素の少ない状況での焼成を言い、酸化焼成とは十分に酸素を送り込んで焼成することを言う。成形には
ロクロを用い、日常生活用品や祭祀用具など様々な種類のものが作られた。 土師器(はじき)は、弥生
土器の流れをくんだ土器の一種で、古墳時代4世紀に始まった。赤みを帯びた素焼きの土器で、祭祀用と日
常雑器がある。焼成温度は摂氏600度から800度程度の低い温度だ。
瓷器(しき)は、わが国最
古の施釉瓷器で緑色、三彩鉛釉を施した低火度焼成の焼き物を言う。焼成温度は摂氏800度前後で、主に
奈良平安時代焼かれていた。
日本六古窯

信楽焼は、現在の滋賀県甲賀郡信楽町で焼かれた陶器で、12世紀の末、平安時代末から始められたと考えら
れる。信楽焼きは須恵器の流れをくみ、無釉、焼締め陶器である。無釉と言っても、炎が強烈に当たった部分に
は、自然の灰が降り、それが摂氏1300度前後の炎の中で溶け、ビードロとなり、自然釉となっているものも
少なくない。焼成品目は、すり鉢、壷、甕の三種を主とした雑器であった。この頃の陶工は、半農半陶で。農閑
期に焼き物を作る仕事に従事していた。窯跡は100基を超えるといわれているが、その殆どは未調査のまま荒
れ果てている。私も二十五年ほど前、山本貞彦氏の案内で、二十数基の古窯跡を案内してもらった。山本氏は高
知県から信楽に移り住んだ方で、彼の古窯発掘調査以外に詳しい調査報告はない。
備前
備前焼きも信楽同様、須恵器の流れをくみ、十二世紀の末から始まったと考えられている。現在の岡山県備前
市近郊で焼かれた焼き物で、信楽と同じように、すり鉢、壷、甕の三種を主とした雑器であった。殆どの産地
がそうであるように、室町時代の末になって茶の湯が盛んになってくると、茶器の生産を始めるようになるの
は、備前とて同様だ。
丹波焼きは兵庫県多紀郡今田町立杭近辺で中世以来焼き続けられている。中世の三種の器、壷、甕、すり鉢が
焼かれていたが、ここ丹波では、すり鉢が非常に少なく、江戸に入ってから多く焼かれるようになる。丹波も
やはり、信楽、備前同様、須恵器系に属している。 ここまでを見て、信楽、備前、丹波の各窯場つまり関
西地方に位置する窯場は、須恵器の系列に属している。それに反して、これから見ていく窯場、つまり、関東
エリアと北陸地方は、瓷器系の焼き物で、その系列は異なる。
越前
越前焼きは福井県武生市の北西に位置する織田町、宮崎村を中心に焼かれていた。北陸にはこの他にも加賀、
珠洲、狼沢(おうえんざわ)の窯がある。越前は、基本的には須恵器系に属するが、瀬戸の白瓷の影響も受け
中世には瓷器系にも属し、前に述べた信楽、備前、丹波とは少し異なる。製品は甕、壷、すり鉢等の生活雑器
を中心に、現在まで引き継がれている。瀬戸
瀬戸は、白瓷の系譜に属する施釉
陶器で、現在の愛知県瀬戸市で連綿と続いている。瀬戸は中世古窯における唯一の施釉陶器を製造し独自の
道を歩んでいる。従って、中世古窯においては殆どの窯場が甕、壷、すり鉢の三種を焼成していたが黄緑色や
黒褐色の釉薬を使った壷や瓶子、山茶碗を焼成していた。成立年代については、鎌倉時代の中頃に求めている
人が多い。窯場は猿投山西北麓で、500基近い古窯が確認されている。現在、愛知県立陶磁資料館で保存し
ている古窯を見ることができる。常滑
常滑焼の経緯は瀬戸の猿投窯の衰退と常
滑古窯の発生とが大きく関わっていることは、大方の見方だ。常滑の位置する知多半島には、3000基の窯
が確認されているという。現在最も古いと確認しうるものは、三筋壷と同時に発見された四方仏石の刻文に天
治2年(1125年)とあったものである。この古窯からは瀬戸から出土したと同じ山茶碗、、短頚壷、広口瓶が
出土している窯もある。常滑も、ほかの中世古窯と同じように、すり鉢状の鉢、甕、壷の日常雑記が主体。た
だ、常滑の壷の形と信楽のそれが非常によく似ていて、相互交流が考えられる。