Dick Lehman


この原稿はセラミックス・テクニカル(オーストラリアの陶芸専門雑誌)1999年11月号を翻訳したものです。
同雑誌及び著者の転載許可を得てここに掲載しています。

長期間の焼成効果を得るために

ディック・レーマン著

著作権:ディック・レーマン所有・1999年

翻訳:松川千明

[註] 原文は英語ページに掲載されていますので、原文を読みたい方はそちらでお読みいただきますようお願いいたします。

大学を卒業後、(在学中から始めた陶芸をさらに深めるために)趣味として ではあるが窯を築こうと思い立ったのは25年ほど前のことだ。倒炎式薪窯だ った。薪窯にしたのは芸術的というよりはむしろ実際的な思惑からで、 その頃はあまりお金もなく薪だけは豊富にあったので他の燃料を買うより薪を 使うほうが助かったのだ。薪窯の生み出す美に憧れるなどというものでは なかった。私は自分のかけた釉の上に積もるあの茶色と黄色の「もの」 (灰)に困り切っており、実のところ私にできたことといえばせいぜいその 木灰を最小限にくいとめることだった。

時は流れ、「趣味」は「仕事」になった。私の次の窯は還元焼成用のガス窯で、 製陶スタジオのニーズを満たすため、製品の焼き上がりの均質性を念頭に 置いて設計されたものだった。薪窯は取り壊され、使える部分はガス窯に 再利用された。

ガス窯で数年間焼くうち私は、かつてあの小さな倒炎式薪窯は 素晴らしいものをもたらしてくれていた(当時は気づかなかったのだが)のだと 思うようになった。目が肥えてくるにつれ、あの時器に積もっていたあの 「黄色いもの」の何たるかをもっとよく解っていれば・・・単に釉を融かすために 焚くというだけでなく、燃料が薪という点をもっと生かしていれば、との思いを 禁じ得なかった。だがもう遅すぎた。

だがさらに数年後、時間と場所とお金ができた私は、前のと同様の倒炎式薪窯を築き、以前軽視したものの探究を始めた。

驚くべきことだが、この二代目の倒炎式薪窯への興味が薄れるのに たいして時間はかからなかった。こんがり焼けた暖かな感じの無釉のものが 出る良い窯だった。「茶色と黄色のもの」が器をいきいきと引き立たせていた。 高温にしても安定していてまあまあ扱い易かった。だが私の目は成長していた。 私は薪で4日、8日あるいは12日もの間焚いた作品こそ最も素晴らしいと思う ようになっていた! そのように長い日数焼かれた器の、炎によって 形造られた姿とは対照的な、様々な色の自然釉の豊かな流れを私は好んだ。 それこそ私が求めていた伝統で、私が造りたかった器だった。

しかし小さな倒炎式薪窯では決してそのような効果は得られないことは 明らかだった。もしその効果が得られたとしても焼ける作品の数はごくごく 少なく、そのような小さな窯を一週間以上も焚くことが実際的あるいは経済的か どうかは甚だ疑わしかった−いかに結果に確信があったとしても!

私の心変わりによって、倒炎式薪窯は見向きもされなくなり何年も放って おかれた。自分の造りたいものは決して造れない窯を焚く気はしないという、 ただそれだけのことだった。

私の陥ったジレンマはこうだ:何日も焚きたい、でも焚けない。現実にそして 歴然と、不利な条件が私の行く手を阻んでいた。穴窯を築く土地を買うお金など なかった(うちの小さな小屋から巨大な穴窯がはみ出ているのを見てご近所が 快く思わないであろうこともほぼ確実だった)。よしんば土地があったとしても 穴窯を築く材料までは手が回らない(そして材料を人に頼んで譲ってもらって まわる時間もない)。いわんやそんな大きな窯を築く腕や扱う力が自分にあるか も心許なかった。いちばんの問題は、目下時間をさいていること(妻子や製陶 スタジオやその従業員、顧客)で手一杯で、定期的に8日間ぶっとおしでその間 スタジオでの仕事をせずに窯を焚くなどは不可能に近いということだった。

時間、お金、技術、場所、土地などの制約が私の前に立ち塞がった。自分が心底 感動した、伝統的な薪で焼いた器を自分でも造るのだという夢を忘れたことに して私は長い間過ごした。だがついに、現にある条件の下でもなんとかなる 部分もあるのではと考え始めた。それまで仕方ないと受け入れてしまっていた 「限界」から踏み出し、伝統に則った新しい仕事の仕方があるはずだ、先人の やりかたとは違っても同じような作品を生む方法があるはずだという、その 可能性を信じるようになったのはまさにその時からだった。

まず考えるべきは、移転したり新たに土地を買ったりしないで、今居る場所に そのような窯が築けるかということだった。それには窯はできるだけ小さく なければならなかった。

窯が小さいものと決まれば、築き直すにせよ今ある窯に手を加えるにせよ、 手持ちの煉瓦を少し使うだけでよいということはすぐにわかった。

「時間」が依然最大の問題だった。8日間かけないで「8日間焼いた器」を 造るには?

自分のスタジオの仕事スケジュールを変えないで1週間窯を焚くことが できるかを私は考え始めた。ニュージーランドで新しく考え出された 「下り階段式設計の火床」にこの難問を解くヒントがありそうだった。

ある日大声の独り言に跳び上がりそうになった。「もしこの新しい設計の 火床を取り入れて、一度に5時間分の薪が入るくらい火袋を大きくしたら・・・ そして一次空気とダンパーを調節して5時間に1回くべるだけで済むように したらどうだろう?」

「馬鹿げてる!」ある陶工の友人は言った。

「うまくいったとしても、」また別の友人は言った。「そんな小さな窯じゃ 「部屋」は一つしかないし、似たような作品しかできないだろう。そんな ものが造りたいのかい? それじゃ薪で焚いたとは言えないよ!」

それでも大量の薪を間欠的に(巨大な火袋に)くべるという考えは私を とらえて放さなかった。今ある倒炎式薪窯に(小屋を大きくしないで) そういう火袋を作ることができるというだけでなく、そのためのほとんどの 材料(そして完全な技術)もあったから。

そしてもし薪をくべるのが5時間ごとでよいのなら、朝仕事に行く前にくべ、 昼仕事場から車を10分転がして(昼食をとりに)家に帰ってきてそこでまた くべ(窯焚きのために仕事のスケジュールを変更しうるのは唯一この時だけ)、 最後に一日の仕事を終えてからくべ、夜の間に何度かくべる(その時間は家族と 過ごしているのだが)ので済むことになる。

「ここまではよいとして、」私は考えた。「部屋がひとつ」という新しい 問題点が指摘されてしまった。焼成室を増やすために窯の物理的な寸法に とらわれるのでなく、異なる種類の土をいくつか作れば、それで「部屋」を 増やすことにならないか? 同じ窯の状態にそれぞれの土がひとつひとつ違う 反応をすれば、土の選択でいくつもの「部屋」があるのと同じことになる のでは、と考えたのだ。

この問題の解決には最も時間を要した。二年半以上修正を重ね、13種類の土を 得た。かなりの大きさの薪窯を持っている友人たちの好意のおかげで8窯分の 取引ができた:新しい配合の土で造った器を彼らの窯で焼かせてもらう お返しに、彼らに土のレシピを教えるのだ。お互いが得をする取引だった。

結果は示唆に富んだものだった。8つの窯それぞれの結果から、私は新・改築 する自分の窯で試す6種類を選んだ。

その間私は試算してみた。いったい8日間の窯焚きの序盤に5時間おきにくべる として、どのくらいの薪を使うことになるか見積もってみた。それによって まずは火袋のデザインが決まった。窯自体の半分ほどの大きさ・・・型破りだが それが最善だった。

だが設計の最終段階で、階段式火床が場所をとるため火袋はさらに大きく なった。結局窯自体とほとんど同じ大きさになったのである。

自分の考えを試す時が来た−私はやってみたいという思いでいっぱいだった。 もともとあった窯に特大の火袋と階段式火床を増築して、窯に火が入った。

スケジュールはこうだ。最初の6日半は一日に5回しかくべない:1)朝食前、 2)昼食をとりにスタジオから帰宅した折り、3)仕事を終え帰宅した夕食時、 および夜間にあと2回。(最初私は「うるさい赤ん坊」のためにもう少し時間を さいてもよいと考えていた。未明に「夜食」をやるために起きるのもやむなしと 思ったのだ。しかし熟考の末、窯の方をできるかぎり私のスケジュールに 合わせることにした:そこで夜間くべるのは最小限にして、夜中に起きて睡眠を 中断することのないよう12時(通常の私の就寝時刻)にくべて終わりということ にした。)

初めの6日間と半日、窯の温度は華氏1300度<摂氏約700度>近くで安定して いた。また一次空気とダンパーを調節して一回くべるたびに大量の薪が5時間 かかって燃えるようにした。

階段式火床は薪に均等に酸素を供給できるようで、窯焚きの序盤に還元がかかり すぎるのが避けられた。

この「ウォーミング・アップ」の時期に大量の薪を燃やしたため、「吹雪の 如く」乾いた灰が器に降り積もった:これぞ私の見たかった光景!

6日と半が過ぎた時フルタイムの焚きに入り、最後の36時間はいわゆる 「普通の」スケジュールで焚いた:この最後の一日半は約12−15分間隔で 薪をくべた。窯は十分熱されていたため、最高潮に達するまでにわずかな 時間しかかからなかった。最初の6日と少しの間に積もった灰をすぐにも 融かしにかかることができた。最後の36時間のほとんどを最高温かそれに近い 温度でいけた。その間11番コーン<摂氏1320度>近くまで上げるために (ダンパーを調節して)できるだけ酸化でも還元でもない状態でいくことに した。それから(ダンパーを調節して)9番コーン<摂氏1250度>まで下げた。 この「アップ・ダウン」には約一時間かけそれを繰り返した。その結果もともと の「ベース」の灰はすっかり融け、その上に新たに融けた灰が30層以上に なった。

窯焚きの終盤、火袋の大きさと階段式火床による空気供給力は二つの点でよい 結果を生んだ。1)くべる頻度は最後まで比較的少なくてすんだ(約12分おき)、 2)階段式火床によって溜まったおき炭の熱を最大限得ることができた。 (この窯のデザインでは溜まったおき炭を取り除く必要がない。)

容易に焚けることがまず何よりよいことだが、最もよいことは窯出しの時 明らかになった:普通何日間も焚かないとこうはならないのだが、フルに 焚いたのが一日半なのに灰が様々な色に実によく融けている。「8日かけずに 8日間焚く」方法を見つけたと言ってよかった。

落胆、閃き、逡巡、試行、そして遂には自分の直観を信じるに至った軌跡を振り 返って思うのは、必要に迫られて制約下で物事をやり遂げることが前向きな力を 生み出すということだ。数々の制約のおかげで新しい考えが生まれた。先人より 受け継いだ伝統とはまた違うやり方(やはり伝統に基づいてはいるが)が 生まれた。「伝統」と「自由」の融合の中に新たな答えがあった。打ち勝つべき 制約があって初めてたどり着けた答えが。

我々が今日伝統的(あるいは「伝統」)としている焼き方は、何世紀も前それを 初めて作り出した陶工たちにとってははたしてどんなものであったろうと考えた とき、彼らはただその時代の限界を突破する道を見出そうとしただけのように 私には思えてならない。当時の「伝統」に彼らが必要とした実際的な「自由」を 注ぎ込み、課せられた制約を打ち破ろうとしたのだと思えてならないのだ。

伝統とは実のところ長い間積み重ねられ次の世代へと受け継がれてきた解答を 継承してゆくことではないのだろうか? ゆるぎない究極のものではないの だろうか? 伝統とは我々がそれを受け継ぐ以上に守る責任があるものでは ないのか? 確かに、我々一人ひとりが度を超さない好奇心と革新性とで もって自分たちの受け継いだものを十分に活用あるいは応用し、それぞれの 人生の困難や限界に立ち向かうのなら−それは間違いなく我々皆が最良の方法で 伝統をさらに展開することになるのだ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− これまで用いてきた土のいくつか:(以下のレシピの出発点はすべてジャック・ トロイの近著「薪窯の陶器と磁器」中のレシピに負うところ大である)

レーマン・レシピ 5-D 非常な高温においてとりわけ反応がよく、ごく僅かの灰も捉える(熱い場合)。 真珠のような光沢で、それが濃いカラメル色を覆っていることが多い。厚く 積もった灰は灰の少ない真珠のような部分にくっきりと結晶を残してよく 流れる。窯の中の最も高温になる場所でも良好である。−11番コーン <摂氏1320度>だろうと大丈夫。

ろくろでの成形が難しい点がきわめて磁器的ではある。

55 Grolleg
30 Custer Feldspar
20 フリント (325メッシュのふるいを通す)
2 ベントナイト
8 Reddart

レーマン・レシピ 5-D*
上のレシピのバリエーション。APGreen 耐火粘土を加えただけである。
耐火粘土の追加により 5-D に比べ格段に成形がしやすい。カラメル色から チョコレート色まで、きわめて濃い色。最近の窯では火袋に入れた器は融けた 灰で濃いチョコレート色から黒、鼠色の縞模様になった。鼠色から黒色の最も 濃い部分には灰が白っぽい結晶となり流れていた。どろりとした灰(松)が 暗めの地に緑のたまりを作っていた。

灰のかかりの少なかった(温度のやや低かった)器はチョコレート・ブラウンの 地に金色や鼠色の灰が融けていた。地味な感じで、最も反応がよいといえるもの ではなかった。

最も熱い炎にも耐えうる。

55 Grolleg
30 Custer Feldspar
20 フリント (325メッシュのふるいを通す)
2 ベントナイト
8 Reddart
36 APGreen 耐火粘土

レーマン・レシピ 12-D
色は 5-D よりも明るいカラメル色で、細かく融けた灰が少しで容易に滑らかな 肌が得られる。灰の厚く積もったところの色はより明るくなり、結晶が浮かぶ ことが多いようである。 #5 より若干火の影響を受けやすいが10番コーン <摂氏1300度>以上の温度にも耐えられる。火前にこれを置いてもよいと思う −上に何も載せるものがなければ特に。

またこの土は内部に炭素を取り込み、濃い鼠色から黒へ至る、皮のような 光沢の表面になる。黒い部分は多くは灰のかかりの最も少ない面で、色の 変化は黒から鼠色、鼠色から透き通った灰色・・・さらにピンク、紫、青緑、 緑、金色、黄色へと・・・時に息を呑むほどのことがある。

36.8 EPK
24.5 ネフェリン. サイアナイト.
14.3 OM4 ボールクレー
19.1 フリント (325メッシュのふるいを通す)
5.1 ベントナイト
4.0 Reddart
レーマン・レシピ 12-D*
12-D に似ているが 36# APGreen 耐火粘土を加えてある。これは使い道の多い 土で、窯の最も熱くなる場所でも安心して使える。灰のかかりが少ないと、 色はごく濃く(チョコレート色)少量の灰にはあまり反応しない。焚く時間を 長くすれば少ない灰でも表面は透明になる。灰のかかりの少ない備前焼を 思わせる:濃い色の滑らかな地に控えめな灰。

だがたくさんの灰がかかると(そして高熱を受けると)灰は器の側面を 鮮やかな縞模様となって流れたようになる。器の上から下へ灰が流れた しるしのようでもあるが、その見かけを証明するほどの灰釉は器の下部には 見られない。・・・ちょっとした幻なのだ。

これにかなりの量の sintered Custer spar を加えてみた。最も高温の、 灰の多くかかった面で Custer は融け始め、灰の流れの縞模様に「抵抗」 しはじめた。いくつもの彗星が器のてっぺんから長く尾を引いて流れている ような−鮮烈な焼き上がりになった。

36.8 EPK
24.5 ネフェリン. サイアナイト.
14.3 OM4 ボールクレー
5.1 ベントナイト
4.0 Reddart
36.0 APGreen 耐火粘土

レーマン・レシピ 4-D
35 イギリスの Grolleg
15 6-タイル・カオリン
15 #401 Yellow Banks (80メッシュのふるいを通す)
12 OM4
10 フリント (325 mesh)
10 F-4 長石
2 ベントナイト

この土は全体に色としては明るめ。しかし窯の中のどこに置いても極めて反応が よい。灰のあるなしを瞬時に「察知する」・・・そして光の推移の効果は常に ひときわ鮮やかである。最高温にも耐えられる。

レーマン・レシピ 13-D
55 English Grolleg
25 ネフェリン サイアナイト
15 #401 Yellow Banks (80メッシュのふるいを通す)
10 フリント (325メッシュのふるいを通す)
2 ベントナイト

大変きめ細かく明るい色。が灰の多い部分から少ない部分へ移るなかで見られる カラメル色は Yellow Banks clay によるところが大なのであろう。そこでは 「金属製の油の斑点」もしばしば見られる。炭素の取り込みもあり、灰の少ない 部分(器の裏側)に光沢のある黒い部分ができる。ネフェリン・サイアナイトが 表面に流れるところである。炭素の取り込まれた状態から薄く灰がかかった状態 の間と、器の「表」側の、厚く灰の積もった状態と透明な部分の状態の間に 僅かな破片が見られたことが幾度かあった。このごく小さな破片(見えないが 触るとわかるくらい)は、220番の湿式 、もしくは乾式 (使うときは 湿らせる)サンドペーパーを軽くかけてやるとたいていきれいに取り除ける ・・・再度付着したり取れなかったりということはないようだ。湿式サンド ペーパーをかけることで微小な破片の取れた部分は明るくなる・・・最後には 器の「雰囲気」はとても素敵になり、その部分の手触りもよくなる。


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