暇人・爺っつぁんの茶飲み話

阿吽

今日の早朝5時半、洞さんの運転で新関西空港へ向かった。ドイツから来る陶工・R・クルーガー氏を出迎えるためだ。空港に到着したのは8時ごろ。8時18分に着陸の表示が出ているが本人は現れない。クルーガー氏は私の顔を知っていると言うが、私は知らない。それで、彼の名前を書いた厚紙を洞氏がかざしていた。

昨夜、洞氏と私は、明日出迎えに行っても顔を知らないので、紙に名前を書いてかざして見せるか? と、話していた。そばには私の弟子で、独立して「萩」に窯を築いている小川浩延君がロクロを挽いていた。数日前から紫峰陶房にきて作陶をしているのだ。洞氏との時間の打ち合わせが終わり、ロクロに向かった。深夜、全ての仕事が終わり、ソファーに座ろうとしたとき、そこに厚紙とマジックインクが置かれていた。「小川君、ありがとう」、私の言葉に「いえいえ」。
彼は、私と洞氏が話しているとき黙々とロクロを挽いていた。そして彼に準備をしておいて欲しいと頼んだことはない。なのに‥‥。

数日前、暖かかったのが嘘のように急に冬に逆戻りした。寒さは厳しい。私は壊疽になるまでは胡坐を組んで造っていた。でも、今はまだ壊疽の一部が残っているので、胡坐は組めない。壊疽の残っている右足を椅子に座っているようにだらんと下げ、左足を畳の上において半座の姿勢で造っている。その座っている場所が、床几台のようになっていて、床の下はすけすけだ。だから寒い日には、座っている下からの冷たさを右足に感じる。右足には壊疽が残っているので、少し痛みをも感じるのだ。

数個造って、ソファーに座り、右足をさすっていると、小川君が、「痛みますか?」と、聞いてきた。
「右足が冷えると痛いのよ」と、返事した。
すると、ロクロを挽いていた手を休め、梱包用品を持って私のロクロのところに行き、冷気が入りそうなところを囲ってくれている。何も言った訳でもないのに、彼は私の事情を良く解ってくれているのだ。

何も言わずとも、私の思っていることを言う前にしてくれる。私の他の弟子もそうだ。私の弟子は、タバコと言えば、タバコだけを持ってくる弟子はいない。

弟子と共に生活しているときにはそのようなことが日常茶飯事として行われ、私もそれを当然のこととして受け入れていた。しかし、長らく弟子と共に生活していないと、その気遣いには頭が下がる思いがする。そのことにお礼を言うと、「先生、お礼なんて変ですよ」と言う返事が返ってくる。この相手を思う気持ちが、彼らの作品の素晴らしさに繋がっていると私は確信している。

写真提供 文空さん。
2006年04月01日(土)  No.35 (穴窯)

窯詰め2日目

昨日から窯詰めが始まった。昨日は、千葉の志保澤さん、萩の小川君、信楽の洞氏、他一名の4名だった。そして夜、阿頼耶氏と旭君が加わった。窯詰めで一番時間がかかるのは火袋の作品と最前列一段目だ。ここが決まればあとはそれほど難しくはない。だから、昨日半日掛けて、火袋の作品の仮置きと最前列一段目に置く作品の仮置きを済ませておいた。

本日は午前8時半に京都から中村氏も窯詰めの手伝いに来てくれ、幸道君も加わっての窯詰めとなった。昨日から窯詰めを始めているので、いつもよりも順調に進んでいるようだ。深夜までの窯詰めが当たり前だが、今回は連日夜の9時ごろには一段落が付く雰囲気。小川君は、窯詰めの全てをマスターしているので、作品の並べ順の通りに作品を仮置きしておけば、後は紫峰の思っている通りに窯詰めを進めてくれる。今はまだ壊疽の一部が残っているので、窯の中に入ったりは出来ないが、外からの指示で全てが運ぶので、安心して任せている。
今日は、最前列のすべての窯詰めが終わったので、明日からは2列目に移る。窯焚きは、予定通り4月11日夕刻6時になる。窯焚きの詳細は、このブログもしくは暇人の画像掲示板で報告する予定です。
2006年04月09日(日)  No.40 (穴窯)

窯焚き初日

2006年4月8日から始まった窯詰めが終了し、本日4月11日夕刻6時に窯に火が入った。今回の作品は、花入を少なくし、茶碗、掛け花入、徳利、ぐい呑、壷、水指を主に造った。勿論他の作品も創っているが‥‥。
伊賀焼きと呼んでいる火袋の作品は殆どが水指と壷だ。今回の作品は、壊疽に罹って以来、1年半ぶりの作品なので、見る人によっては、気取りがなくなり遊びを感じていただけると思う。

この窯焚きの主なスタッフは、紫峰の弟子で萩に窯を持つ小川君、信楽の貸し窯、響堂主人、洞氏、それに千葉に窯を築いている志保澤さんの3名だ。紫峰の窯では2−3名での窯焚きが常で、その他に外国からの希望者が一人入っているのが常だが、今回は事情があって、日本人だけの窯焚きになった。前列右の志保澤さんは、昼1時から夜の9時までが彼女のシフトに決まった。

そして夜9時から翌朝5時までが、響堂の洞さんが窯を焚くことになっている。まだ窯に火を入れて間がないので、窯の下焚き口の下での窯焚きだ。今日も夕刻からカナダに住んでいる hawaii_oslo さんが、帰郷中に紫峰窯に立ち寄り、窯の火入れを見学された。今夜は紫峰窯に宿泊されている。火入れ直後はちょうど風呂焚きかキャンプファイヤーのようなもので、炎の激しさは全くない。そして薪を入れる時間的余裕もあるので、まだのんびりとした雰囲気での窯焚きが出来る。

明日の早朝には、萩の作家・小川浩延君が窯焚きをしてくれる。彼は最近年に数回の穴窯焼成をしているので、あらゆる状況変化をつかめるようになっている。だから安心して窯焚きを任せられる一人だ。いずれにしても窯焚きが始まった以上、気を抜くことは出来ない。スタッフ全員、緊張の中にも炎との再会に喜びを感じてくれている。ことに今回は、紫峰の全快を祝してのものだけに‥‥。今日から出来るだけ詳しく窯焚きの状況を皆さんにお知らせいたします。お楽しみに‥‥。
2006年04月11日(火)  No.41 (穴窯)

窯焚き2日目、3日

窯焚きも3日目に入った。しかし前知識として紫峰窯の窯焚きの概略を説明しておきたい。
紫峰窯の窯焚きは、最短10日間、最長15日間に及ぶ。今回は10日間の窯焚きを予定している。10日間に使う薪の量はおよそ20トン。この写真で見られるのが20トンの薪だ。だから、この薪全てを燃やし尽くすことになる。3名での窯焚き中、これらの薪を窯場に運び、その薪を割るのも窯焚きの仕事の一部だ。だから、ただ単に、窯に薪を投入するだけでなく、それ以外の仕事もたくさんある。

窯の焚き初めから、二日目(昨日)の夕刻(7時ごろ)まで、窯の下焚き口で薪を燃やし続ける。焚き初めから24時間〜26時間経つと窯の温度が停滞する。今回の場合、400度程度まで上がった。その停滞を確認して焚き口を下焚き口から上焚き口に移動する。上焚き口に移動するとき、下の焚き口をレンガで蓋をする。だが、この下の焚き口から空気が入らないと薪が燃えないので、下の滝口の中央に空気穴を開けておく。どの程度開けるかは、そのときの窯の状態や、空気の流れ、上昇気流等によって、窯焚きごとに変化する。そして一番重要な決定の一つと言えるかもしれない。

上焚き口に移ると、薪を三抱え分窯に投入する。この時点では、窯の中の作品はまだ粘土が乾いた程度なので、薪が作品に当たると作品が割れてしまう。だから、薪を細く割り、薪が当たっても作品が割れないように気をつけて薪を投入せねばならない。一番気を使う時間帯が10時間余り続く。そして、経験の少ない窯を焚く人の訓練の場ともなる。まだ温度がそれほど高くないので、高温時の危険を避ける練習をこの時点でするのだ。

この写真は3日目の午後4時ごろのものだ。これで温度は850度程度になっている。紫峰窯では温度計を使わないので、煙突から出る煙の色や形、火吹き穴から出る煙や炎の色や形、また窯の音やさまざまな変化で窯の今の状況をつかんでいく。難しいようだが、窯に集中すれば自然とわかってくる。そのためには、全てから開放されなくてはならない。
以上3日目までの窯の報告でした。
2006年04月13日(木)  No.42 (穴窯)

窯焚き4日目、5日目

窯焚きも4日目に入り、本格的な熱さが襲ってくる。窯の調子は順調で、紫峰の考えているように窯は動いてくれている。今回の窯は、ここ数回の窯焚きより空気の入りを少なくして焚いている。従って、還元状態が強い焼きと言うことが出来る。通例なれば、4日目の夜火袋の中の作品に灰が降りかかり、その灰が溶け始めるが、今回は少し遅い。これも今流行りの言葉を使えば想定の範囲内、ということになる。

小川君は早朝5時から窯を焚いているので、5日目の午後1時が交代時間だ。紫峰窯では、交代時には、焚き口の周りと窯場全体を掃き清め、綺麗にしてから次の人にバトンタッチする。次の窯焚きは志保澤さんで、午後1時から夜の9時までの窯焚きをしてくれる。彼女は今回が初めての窯焚き経験だが、誰が見ても5年以上の経験があるように見える。だから、紫峰の指図も的確に理解し、そのように動いてくれるので、非常に助かる。

5日目の夕刻から火袋の中の作品の表面が溶け始めた。そして煙突から出る炎にも変化が現れてきた。いま少しこのままの状態を維持していく予定だ。夜11時現在、火袋の中の温度は1250度程度になっている。刻々と変化する状況を的確につかむのは難しいが、窯の表情を注視していると自然とその変化に気付くものだ。勿論、紫峰の弟子は全ての状況を掴んでいる。
2006年04月15日(土)  No.44 (穴窯)

窯焚き6日目、7日目

窯焚き6日目は4月16日で日曜日だったので助っ人として、信楽の幸道君と西尾市のミヤコさんが来てくれた。ミヤコさんは過去数回の窯焚きをしてもらっているので、安心して任せられる。今回の窯焚きには見学者もあとを絶たない。そのひとつの理由は久々の窯焚きだから、かもしれない。でも賑やかなことはいいことだ。

今回の窯焚きは前にも言ったように、急激な温度の上昇を避けた焼き方をしている。どのように違うかは、窯出しした作品を見てもらうしかない。焼き方を変えるというと、どのように変えるのかと質問してくる陶工もいる。窯焚きの基本中の基本は、空気の入りと出にあることは誰も知っている。この入りと出を調節すること以外に窯焚きの方法を変える方法はない。だから、今回は空気の入りと出をいつもより僅かに少なくして、窯の雰囲気の調節している。だから時間がかかるのだ。

6日目の夕食後から、ピラピラが出だした。ピラピラというのは煙突から出る炎が、ピラ、ピラと舞うように上がるので、紫峰が名づけた。この言葉は映画「KAMATAKI」にも出てくる。国際的な映画なので、KAMATAKIやANAGAMAと同じように、国際語化すれば、なんて思っている。この炎を観るために、遠方から来られる方もいる。
窯を焚いている者にとっても、この炎を見れば、窯焚きの順調さを実感するものだ。

予想ではこのピラピラは、7日目に入って出ると思っていたが、数時間早かった。数時間早かったといって、作品に悪影響を及ぼすものではなく、全ては自然のなす技だ。このままの状態で、自然な状態での温度上昇を期待している。
しかし、いつ見てもこの炎は美しい。この炎が出る時には、窯は振動し、ドドドド、と音を立てる。窯焚きの疲れもこの瞬間から疲れを感じさせなくなるのは不思議だ。
2006年04月17日(月)  No.46 (穴窯)

窯焚き8日目、9日目

メッセージと書き込み日と実際の書き込み日が異なることをお許しください。

紫峰窯で使う薪は全て赤松で、それ以外の薪は使いません。何故赤松を使うのかとよく聞かれるので、赤松を使う理由を……。
赤松は、他のクヌギやいわゆる雑木に比べると、そのカロリーは低いものです。カロリーが低いと、同じ条件下では、一定の温度に達するのに、他の木に比べて時間がかかります。この時間が重要なのです。窯を焚くに付け大事なのは、熱量です。この熱量は、温度と時間に正比例します。だから多くの人が目安にしている温度以外にも大事なものがあるのです。
また、赤松には脂があり、その炎の長さは他とは比較になりません。何故炎の長さが大事なのか? 自然釉の美しさに魅了されている紫峰の窯では、作品一つ一つに、炎がなめるように流れていくことを望んでいます。長い炎はその目的に一致するのです。
そして、おき炭が残りにくく、長期間焼くには赤松以外に考えられません。赤松を使っていても、7日目か8日目にはこの写真のように、下焚き口のおき炭を柔らかくし、空気の流れを確保せねばなりません。以上のような理由で赤松以外の薪を使わないのです。

6日目の夜からこのようなピラピラ炎が出始めましたが、7日目頃までは、毎回、このような炎が出るとは限りません。
ピラピラというのは、紫峰窯で名付けた炎のことで、専門用語ではありません。次に写真の、ボーボーと言うのも同じです。ある一定の熱量に達してくると、窯の中の薪が燃えるのに、酸素を全て吸収して、酸素不足を生じます。その折、ガスを発生し、そのガスが、煙突から出た時に、一種の爆発現象を起こします。その炎が、このピラピラであり、ボーボーなのです。このような話を紫峰は好みませんので、この辺で。

9日目になると、ピラピラとボーボーのミックスされた炎が出始めます。最初ピラピラが出てその後にこの大炎、ボーボーに変じるのです。窯からはゴーゴーと、唸りのような音を発します。そしてこの炎は又、窯の終焉の近いことを教えてくれるのです。この炎が出ないと窯が焚き終わらないと言うことはありません。ケースバイケースで、その時々の雰囲気を見て決定せねばなりません。
2006年04月19日(水)  No.47 (穴窯)

2006年4月窯焚き最終日(10日目)

いつの窯でもそうだが、どの程度の空気穴を開くか、煙突からの出をどの程度にするか、は、750度から800度の時に決定する。つまり焚き始めからここまでの間に、気象条件や空気の流れ、雰囲気等を感じ、それに従って決定するのだ。この時決めたことは、その後変更することはまず無い。今回は、時間を掛けて焼きたい、との希望から決定した。だから、最終日には炎の戻りも激しくなってくる。

これは10日目早朝の窯の様子だ。ゴーゴーと唸りを上げ、煙突から大炎が立ち上っている。もうピラピラの後の大炎ではない。薪を入れると、もくもくと立ち上る煙の後に直接この大炎が出る。窯の終焉が近づいているのを感じる。弟子も同時に同じことを感じるのだろう。この頃には既に、紫峰が最後の薪の投入の時に着る洗濯された作務衣、ておい、軍手、タオル、前掛け等々が準備されている。そして窯を閉める時に使うドベの準備も済んでいる。紫峰からの指図は一切無いにもかかわらず……。

時間の経過と共に、炎は大きくなり、天に吸い込まれていく。窯の唸りも大きくなってくる。10日目の午前10時半、窯を閉めることにする。窯焚きに加わった者、全てが、窯に感謝の声「有難うございました」と、礼を述べドベの準備をする。一人の弟子が、紫峰に薪を手渡す。最後の薪を投入し「よっしゃ!」の声と共に、弟子はドベを焚き口や下焚き口、火吹き穴をふさいでいく。
窯焚きは終わったのだ。今回の窯は、壊疽の快癒後初めての窯焚きであるだけに、格別の思いがある。

窯の蓋を閉め終わると、全員が横一列に並び、南無阿弥陀仏を唱え、窯に感謝の念を……。そして、窯の周りの掃除が始まる。箒の目も鮮やかに、感謝の念を持って、窯の周りを清める。この窯焚きの詳細については、暇人の画像掲示板と、紫峰作品の愛好家の一人のブログ、夢幻泡影@BLOGでご覧いただけます。
2006年04月20日(木)  No.48 (穴窯)

窯出し

4月20日に窯焚きを終え、一昨日の4月28日、窯出しを行った。この状況の詳細については暇人の画像掲示板でご覧下さい。
ここでは、紫峰窯の窯出しのセレモニーをお伝えします。紫峰窯の窯出しでは、親しい人と共に昼食を食べ、その後、窯出しをする。通常20数名の方々が昼食前に来られ、窯出しの時には、30名を超える。今回の窯出しには、外国から4名の方が見に来られていた。その中には、映画「KAMATAKI」の監督、クロード・ガニオンさんが含まれている。ガニオン監督は、紫峰のドキュメンタリーの最終撮影のために来日されていて、多くの方々とのインタビュー、紫峰作品の撮影と、早朝から深夜まで仕事をしておられる。

紫峰窯では、全ての初めに、「南無阿弥陀仏」を10回唱える。食事の前後、窯出しの前も同じだ。このお十念後、紫峰の手によって窯の蓋を開ける。窯の蓋が開かれると、参加者一人一人が窯の中をつぶさに見る。この時写真を撮るのもビデオ撮影するのも自由だ。全ての人が窯の中を見終わったのを確認し、紫峰の手によって、作品が取り出される。その作品を近くにいる人に手渡し、窯の前に並べられていく。

出てきた作品を手にとって見る人、遠目に目ぼしい作品を探している人。景色だけでなく、作品の厚さを調べている人。一つ一つの作品の写真を撮っている人。それぞれの人がそれぞれの見方をして楽しんでおられる。今回は、この窯出しの最中に、ガニオン監督のインタビューが撮影されていた。窯出しに来ている人が何を語ったか、紫峰にはわからない。(笑)
ドキュメンタリーの完成が待たれる。

窯出しが終了すると、その日手伝ってくれた人と食事に行くのが恒例となっている。この食事が終わると、窯場に戻り、作品の仕上げをする。仕上げをするまでも無く、紫峰は窯出しの折、全ての作品を見ているので、今回の窯の状態や出来具合を既に確認している。今回の窯の作品は、ビードロの流れた作品だけでなく、景色も何も無い作品に、その作品のありのままの姿を見ることが出来た。もし今回の窯だしに来られた方で、それを見逃された方には是非今一度見て確認してもらいたい。それらの作品には、紫峰そのものが見られると思っている。
いずれにしても、多くの方々に窯出しに来て頂いたこと、お礼申し上げます。
見逃された方は、是非来山のうえ、ご覧下さい。
2006年04月30日(日)  No.50 (穴窯)

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