暇人・爺っつぁんの茶飲み話

逝くときはアニキ(義兄)のように……。

恒例の窯祭りの終了を待つかのように、8月2日早朝、午前4時5分、私の実の兄とも言うべき義兄、今井均が、静かに息を引き取った。享年70歳。
私が壊疽の病に苦しんでいる時、近くに来たからと連日のように見舞ってくれていた。また私の実の姉であり、均さんの嫁、美智代も、壊疽の足でも履けるように工夫を凝らした毛糸の靴下を編んでは、届けてくれていた。そして、壊疽が快癒した時には我がことのように喜んでくれたのは言うまでもない。

2005年10月の末のことだった。少し足がつるようだと言って、娘の勤める「甲賀病院」で検査を受けることになった。数日後の11月2日にその検査結果が、次女、恵子に伝えられた。家族全員が集まって、その対応策を話し合ったが明確な答えが出なかった。そのため、母親の実の弟、私のもとに相談にきた。その折全員泣き崩れていた。と、言うのは、医師から「肝臓に癌が出来ていてその癌が余りに大きく、手のつけようがない。手術も出来ない。余命は3ヶ月程度だ。」との宣告を受けたのだった。医師が人間の死を予測できるわけがないことは誰もが知っているし、誰もが死を迎えることは知っているが、そのように言われるれるとショックを受けるのは当然だ。そこで、そのことを義兄に告知するかどうか、で家族の意見が纏まらなかったのだ。しかし、以前から義兄が、「もし自分が病気になれば、ホメオパシーの治療を受けたい。」と言っていたことを、私のみならず義兄の家族も聞いていた。ホメオパシーの治療を受けるには、本人が病状説明をする必要があることを私は義兄の家族に説明した。それを知った家族は、本人に肝臓ガンの告知をすることを決定した。
家族から「肝臓癌である」と聞かされた義兄は、聞いた直後は驚いたもののすぐに冷静さを取り戻し、その場でドイツの医師、E.W氏に電話をし、自分で病状説明した。そして数日後、義兄は家族と共にE.W氏と会って、問診を受けることになった。

ホメオパシーでは、問診が重要な診察の要素となっている。患者の過去の生き方や考え方、患者の経歴や性格等々、こと細かく聞かれる。その上でその患者に合ったレメディ―が決定される。つまり、西洋医学のように、ある患者の病気に効いた薬は、他の患者の同じ病気に効く、と言うことはない。同じ病気でも、ひとり一人の患者の特異性を考慮されてそれぞれ異なったレメディ―が決定されるのだ。義兄には5−6種類のレメディ―が決定され、ドイツから送付されてきた。そして、タバコ、コーヒー、ミントの摂取が禁止された。これは一般の患者と同じだ。しかし、義兄には、肉食が禁止され、魚は新鮮な白身魚だけは週に一二度なら食べることが許された。彼はE.W氏の指示に従い、完璧なホメオパシーの治療を受けることになった。微塵の疑いも持っていなかった。紫峰の眼から見ても、見事!という他なかった。その日から月に一度E.W氏を訪ね、家族全員で京都の旧跡や、神社仏閣を訪ね、ビジタリアン専用のレストランに行くことを楽しみにしていた。その姿を見て、私も今年の1月中旬からビジタリアンになることを決した。
心配していた3ヶ月が過ぎた。医師からは「余命3ヶ月」、と、言われていたから……。この宣告を受けてから8ヶ月目までは通常どおりの仕事をこなし、ゴルフにも行っていた。9ヶ月目に入る頃から、ゴルフには行きたくない、と、言い出し、ゴルフに行くことはなくなったが、本業の米穀商の精米と米の配達はいつも通りしてくれていた。しかし間もなく、足に鉛の錘がついているよう、だと言って、配達を妻に任せ、家での電話番と伝票付けをしていた。死の1週間前まで……。

7月28日、窯祭り中であったが、夜の9時頃義兄を見舞った。義兄は私に会いたがっていたが、「窯祭りが終わるまで待つ」、と、言っていたと言う。その折、義兄は言った。
「後のことはよろしく頼む。すべてのことを相談するように言っているので、相談に乗ってやって欲しい。よろしく頼む。」と。
「兄さん!安心してください。どんなことでも、出来る範囲のことはさせてもらいますので……。」
「それを聞いて安心した。窯祭りが終われば、このことだけは頼んでおきたかった。もう思い残すことはないので、後のことは全て頼む。」と。
その後、義兄の孫二人が見舞った。二人の顔を見て義兄は言った。
「孫の顔を見ると元気が出る。」そして孫二人に言った。
「タク、コウ。おじいちゃんを許しておくれ。今まで二人には隠していることがあった。隠し事をしていてごめんよ。実はおじいちゃんは肝臓癌にかかっていたんだ。その癌も大きくなってきたみたいだから、二人には本当のことを言っておく。本当にご免よ。そしておじいちゃんの孫に生まれてくれて有難う。二人はおじいちゃんの宝でもあったから、御礼を言うよ。ありがとう!有難う!!これからはお母さん、お父さんの言うことを良く聞いて、良い子に育っておくれ。そしておばあちゃんのことも大事にしてね。たのんだよ!ありがとう!」
もう高校生になっているタクは既に何かを感知していたようだようだが、弟のコウは何も知らなかっただけに相当なショックを受けたようだった。
7月29日、姉は義兄の前夜の遺言めいた言葉を聞き、もし何かあれば、医師の往診をしてもらわねばならないことに気付いた。そこで、昨年まで通院していた医師Aに往診の依頼に行った。その医師からは想像もつかない言葉を聞かされた。「そのような重病人の往診にはいけません。」と。義兄は、この医師とゴルフも共にしたことがあったという。慌てた姉は、医師Bにお願いした。その医師の言葉は、「明日にでもここまで連れてきてもらえれば、その後の往診は出来ますが。」
義兄はホメオパシーを受けているので、病院に行きたがらないのはわかっていた。そこで、ドイツにいるE.W氏に電話をし、事の成り行きを話した。E.W氏は即座に、「どうして紫峰さんに相談をしないのですか」と、たしなめられたと言う。30日の夜10時前、私は姉からの電話を受けた。
即座に私は、奈良に住む近代医学の名医・鯨岡先生に電話をした。翌日の早朝に会う約束をしていただいた。31日早朝、私は甥の運転する車で奈良に向かった。8時頃先生の自宅に着いた。先生は家の前に出て迎えてくれた。事情と状況を話したところ、すぐに往診に行くと言ってもらえた。その日の9時半には、信楽の義兄の家で、兄を診てくれた。先生は言った。
「腹が張っているのは、ガスが溜まっているからです。このガスが抜ければもっと楽になるでしょう。すぐにでも抜けますが、ホメオパシーの治療を受けておられるとか。すぐにホメオパシーの医師と話し合ってその対処法を考えましょう。」と、E.W氏と話し合い、その結果あるレメディ―を飲ませるように指示された。そのレメディ―を飲ませて1−2時間後、げっぷが出るようになり、腹が軽くなったと、義兄が言った。往診後、鯨岡先生は紫峰陶房で開催されている窯祭りに立ち寄ってくれた。食事を共にし、何かあった時には深夜でも連絡の取れる方法を教えてもらい、私も安心した。この日、義兄は姉に、自分の死後には面倒になる様々な手続きを今のうちにしておくようにと、具体的に何をどうすべきか、姉に言ったと言う。そして、米穀商として取引しているところには、迷惑を掛けられないので、どのようなことがあっても、指定された日に配達をするようにとの指示も出していた。その日は偶然にも、義兄の逝去した日のことだった。
翌日の8月1日昼頃、先生から電話があった。「これから大阪に出て、明日の夕方まで帰らないけれども、お教えした連絡法で連絡してもらえれば、すぐに信楽に向かいますから。」と。その電話は、義兄の家で受けた。ちょうどその時、私の娘夫婦とその子を連れて見舞いに来ていたのだ。子供の声には義兄は大きく反応し、笑みを浮かべていた。そして手を差し伸べ、孫の手を取った。孫はお母さんに教えられ、「ファイト!ファイト!」と言っているのを聞き、大きく頷いていた。後で聞いた話だが、その日の午後には義兄の兄妹が見舞いにきたという。
その日の夜8時頃、義兄の次女が血圧を測ったところ、異常に低いのに驚き、鯨岡先生に連絡、即刻新大阪駅から石山駅来て頂き、義兄の長女の婿が石山駅まで迎えに出た。「少し身体が冷えているよだから、暖かい手でさすってあげてください。」
それを聞いた義兄の孫二人が義兄の寝ているベッドで添い寝し、「おじいちゃんの身体を温める。」と言って、身体をくっつけ、手でおじいちゃんの足や身体をさすっていた。
鯨岡先生はその夜は離れで泊まるといって、12時ごろ床につかれた。私も家内も家に戻り、安心して寝ていたところ、午前5時前に電話。義兄の逝去を知らされた。鯨岡先生も、家族の全員も、「深呼吸を2−3度し、そのまま静かに眠るように息を引き取った。」と言う。孫も、「おじいちゃんは強かった。死ぬ前まで、「よっこらしょ!」と言って、ベッドの横に置いている簡易便器に座っていた。いつもおじいちゃんは、人に迷惑を掛けるな、約束は何があっても守れ、と言っていたけど、これも……。」

そして葬儀での喪主挨拶の中で「闘病生活中、私たち家族一同がひとつになって、お父さんの介護が出来、お父さんも喜んでいてくれていたことが、大きな慰めとなっています。癌の末期の痛みは壮絶なものがあると聞いていましたが、お父さんが選んだ治療法のお陰で、痛みはまったくなく、近代医学で言われた余命3ヶ月よりはるかに長く生きられ、いつも前向きの姿を見せてくれたことは、私たち家族の誇りだと思っています。この場を借りて、お父さん有難う!!と、叫びたい気持ちです。そして、月に一度、家族揃って京都へ行けなくなったことが残念だけれど、癌の宣告を受けて後毎月一緒にいろいろなところに行けた思い出は、何物にも替え難い。」と。
私は、義兄の肝臓癌の宣告後の生き方を見て、生命を全うすると言う意味の大きさと深さを教えてもらったように思う。そして義兄のように生きていければ、と願っている。よくやった!あにき!と叫びたい。

それにしても、今の医学での自宅介護、自宅療養の難しさを実感した。もし、姉が依頼に行った医師が往診に来てくれていれば、患者の望むホメオパシーの治療を無視して、管を通したり、点滴をしたりして、自然のままの生き方、自然のままの死に方をさせてもらえなかったかもしれない。もしそのようなことがあれば、義兄のこれまでの頑張りも、家族全員の看病の努力も無視され、大きな後悔の念にさいなまれるに違いない。その意味では、断られたことが幸いしたのかもしれない。ホメオパシーでなくても、自宅での死を望むものの意思を実現するには、医師の協力がなくては出来ないことを強く訴えたい。死亡診断書が医師の専権事項なら、往診依頼された医師は往診する義務があるとしてもらわない限り、自宅介護は出来ないことになる。幸いなことに義兄の場合は、ホメオパシーに造詣の深い先生に往診してもらえたから良かったものの……。
2006年08月06日(日)  No.61 (日記)

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