暇人・爺っつぁんの茶飲み話

全く違う風景を求めて(1) ← 白内障手術

壊疽が完治して2ヵ月後、隣町の知り合いの眼科医が訪ねてきて、
「これだけの病に罹ったのだから、一度眼の検査をしては如何ですか?」、と検診に来るように薦められた。その医師はホメオパシーのことも熟知しているので、検査を受けることになった。2年前の2006年7月のことだ。
診察の結果、左右両眼は糖尿病性白内障だが、右眼の白内障は相当進んでいて、散瞳薬(瞳を大きく広げる薬)を何度も点眼したが、眼の奥を目視することは出来なかった。しかし、両眼とも、思っていたほどの眼底出血がなかった、とのことで、医師も驚いておられた。その医師は爺っぁんが壊疽を罹っているのを知っていたので、相当の眼底出血を予想していたようだ。そして、
「血糖値の管理を徹底し、できるだけ早く白内障の手術を受けられることをお薦めします。」と。
ホメオパシーとこの手術のことに関しては、長くなるので、またの機会に譲りたい。ただ、この手術の10日ほど前から手術後5日間は、ホメオパシーの管理下にあったことだけは伝えておきたい。

12月7日、E.W氏から自転車に乗ることを禁止され、以来、白内障の手術のための準備を始めた。そこで先ず、どこの病院で手術をしてもらうかを決めねばならない。その条件として、
1)近くで且つ日帰り手術が出来ること。
2)信頼できる医師であること。
3)診察の経過を詳しく説明してくれること。
4)手術後の予想結果も知らせてくれること。
5)手術に関しての丁寧な説明があること。
大きな総合病院での手術を薦めてくれる人もあったが、総合病院は入院を義務付けられているために、1)に反していて、除外した。
そして、人の噂やインターネットを通じて情報を収集。候補にあがったのは、大津市浜大津の近くにある「森井眼科医院」だ。森井眼科医院のホームページや院長のブログから、白内障手術に対する院長の自信を感じた。幸いにも森井眼科医院のホームページの開設は、爺っぁんがインターネットで病院を探し始めた少し前のことだった。もしE.W氏からの自転車禁止令が早ければ、森井眼科医院との縁がなかったかもしれないのだ。
そこで、12月15日、森井眼科医院で診察を受けることにした。
いつの場合でもそうだが、最初に顔を合わす人、病院の場合には受付の人の印象が、その病院のイメージを患者に伝える。その点、森井眼科医院の受付の印象は非常に良かった。予約を入れていたので、暫くして中待合に案内された。直ぐに検眼があり、数機の機械を覗くようにして、眼の検査が行われた。機械を覗く前に、看護師から、これから行う検査の説明があった。だから、爺っつぁんには、今度は眼圧を計測するのか、とか、眼の深度の計測するのかとか、‥‥、納得して、諸検査をしてもらうことができた。また血液検査や、血圧の検査も行われた。
そして、白内障の診察なので、看護師から散瞳薬の点眼を受けた。点眼前に、散瞳薬の説明があり、数回の点眼が伝えられた。ここまでの看護師の応対や何気ない動きを見るだけで、院長・森井勇介先生の指導ぶりがうかがえ、院長に対する信頼感は増幅されていった。
そして、院長のいる診察室に案内された。
人当たりの柔らかい、感じのいい先生だ。右眼の白内障は相当進んでいて、視力はゼロだったが、「見えるようになります」、ときっぱりと言われた。その言葉に安心したのは当然だ。そして手術前の注意点、手術当日のこと等、詳しく説明してくれた。そして爺っぁんが遠方なので、「もし通院が大変でしたら、入院することも出来ますから‥‥。」、とも‥‥。爺っつぁんは日帰りを希望した。
そして、手術時、挿入する眼内レンズの焦点をどの辺りに合わせるか、を聞かれたので、今までと同じように、遠くを見るときには近視用メガネを掛け、手元30センチほどの所は裸眼で見えるようにお願いした。
最後に、手術日が決められた。右眼は、2007年最後の手術日、12月26日に、左眼は2008年最初の手術日、正月7日に‥‥。
全ての診察が済んだ時、「もしご希望なら、手術中のDVDをお作りしますが」と。これまでに既に森井院長を信頼していたが、この一言で、全幅の信頼を置くことが出来た。そしてDVDを所望した。

手術日の3日前から、眼の中のバイ菌の量を少しでも減らすために、抗生物質の点眼をはじめた。手術をするほうの目に、1日3回、必ず点眼するように、との指導を受け、爺っつぁんは、23日の朝から点眼を開始した。
そして手術当日は、手術の1時間半前に病院へ行き、点眼や体温の測定、血圧が計測された。その都度、何のための点眼かを説明してくれるのは、患者としては、安心に繋がる。そして、院長の診察があり、「痛みもないので安心するように」、と、一抹の不安をふくしょくしてくれた。
診察後、入院室に通され、手術着を着、安静にしていると、看護師が来て、右眼でしたよね?と、赤いバンドを左手首に巻いてくれた。誤りをなくすための処置だ。そして、点眼をしたり血圧を測定したりしてくれる。11時になり、爺っつぁんの手術の番が回ってきた。手術帽をかぶり、手術室の前の待合で、またまた点眼が。そして手術室の扉が開いた。
手術台の上に横になり、麻酔用の点眼を受け、その後、洗眼します、と水のようなもので眼を洗われる。「しみますか?」との院長の声。しみないのを確認して、顔にシーツが被せられた。手術をする右眼の箇所だけが丸く開いているようだった。
「これから器具を使って右眼を開きますので。」
「それでは手術を開始します。もし痛かったり違和感があればお教えください。」
「‥‥‥。」
「これから少し圧迫感を感じるかもしれませんが、ご安心ください。」
爺っつぁんにとっては直ぐに済んだように思っていたが、手術室から出る際に、「少し白内障が硬かったので、いつもより倍ほどの時間が掛かりました。でも綺麗に手術できましたので、ご安心ください。」
入院室に戻ると、先に手術を済ませた方は誰もいなかった。
看護師が入ってきて、術後の注意を事細かに説明され、血圧を測定して、体調が元に戻ったことを確認後、帰宅の許可が出た。
家内に聞くと、手術時間は20分ほど掛かったのではないか?と言うことだった。
この日の会計は翌日にしてくれているのも、手術直後、待合にいる時間を少なくするためだ、と嬉しい配慮に感謝した。
手術翌日の27日、28日、29日と、通院した。27日には眼帯が外され、ゴーグルのようなメガネを嵌めるように言われた。そして、このメガネは夜も外さず、付けたままで寝るように指導された。手術した眼を触ったりしないように‥‥。
そして、3種類の目薬を、日に3度、点眼するようにとの注意があった。この点眼が大事らしい。もし点眼用の容器が睫毛に触っただけでも、直ぐに新しいのに変えるようにと‥‥。
そして、DVDを見ながら、院長から手術の経過説明があった。爺っつぁんの白内障は難症例に入り、白内障部分の粉砕、吸引に、相当苦労されたらしい。事実、DVDに映っている爺っつぁんの眼は白く、その部分に何本もの皺が刻まれているように見えた。帰宅後、DVDを見て、手術には19分かかったことが分かった。
そして術後の経過は、非常に良い、との言葉に、爺っつぁんは安堵したのは言うまでもない。(ものの見え方は別項に譲る)
病院は29日から翌正月3日まで休診だったが、手術をした人のために、31日に見てもらえた。
「経過は良いので、今日からは普通の生活に戻ってください。メガネも必要ありませんし、入浴、洗髪も結構です。」とのことだった。これで気持ちの良い正月が迎えられそうだ、と、爺っつぁんは思った。
正月7日、もう片方の左目の手術を受けることになっているので、3日前の4日から消毒のための点眼を開始した。同時に右眼には、3種類の点眼液を日に3回点眼する必要があるので、それを継続した。
手術当日、既に一度手術を受けているので、これと言う問題もなく、手術室に向かった。執刀前に、院長から、
「今回は、前回とは違って早く終わりますから」、と、言われた。
その言葉どおり、手術かあっという間に済んだ。少なくともそう感じた。そして、前回の手術時のような、圧迫感もなく、勿論痛みもなかった。
これほど簡単ならば、もっと早く手術を受けていれば‥‥、なんてことを思ったことは確かだ。
手術終了後、入院室で少し休んで、帰宅した。
翌日の診察の際、院長から、
「右眼のレンズと少し焦点距離の異なったレンズを入れましたから。」、と言われた。その時にはまだその意味が分からなかったが、直ぐにその意味が理解できた。
(つづく)
2008年01月18日(金)  No.192 (医者嫌いが病に)

全く違う風景を求めて(2) ← 白内障手術

昨年末の白内障の手術前、爺っつぁんの右眼は視力ゼロだった。右眼の前10センチほどの所にかざされた看護師の指の数が判断できなかった。ただ、指の向こうに光をあて、その指を左右、上下に動かすと、その指がどちらに動いているのかが判断できる程度だった。だから、爺っつぁんの右の眼は全く見えていないに等しかった。
そして、左の眼は、この写真のように、見るもの全てが少し黄色味がかって見え、その焦点はぼけていた(これが分かったのは手術後だが‥‥)。だから、近くの物を見るにも、4倍ほどのルーペを使って左の眼で見れば、何とか判読できる、言うのが爺っつぁんの手術前の眼の状態だった。
森井眼科医院の森井勇介院長が、爺っつぁんの右眼を診察して、
「白内障が相当進んでいますね。でも手術をすれば見えるようになりますから。手術についてはご心配は要りません。普通の白内障ですと、目薬で麻酔をして、手術時間も10分程度で、痛みもありませんから、ご安心ください」、と、手術に対する爺っつぁんの不安を無くすように言ってもらえた。
そして、2007年12月26日の森井眼科医院での2007年の最終の手術が始まった。手術時間は20分弱(後にDVDを見て分かった)、その間の痛みは全くなかった。手術終了後、
「手術時間は長くなりましたが、手術は問題なく終了しましたから」、と院長の言葉に安堵した。
手術の日は眼帯をして帰宅。痛み止めの飲み薬を貰って帰ったが、翌日の診察まで必要なかった。聞いていたように、痛みも全くなかった。
翌朝、眼帯はしているものの、眼帯の下に少し隙間があるのに気付いた。その隙間に指を近づけると指がはっきり見えた。これだけでも感激だった。昨日までは全く見えていなかったのだから。
そして、診察のために大津市の森井眼科医院まで家内の運転で出かけた。診察の順番が来て、眼帯が外された。
見るもの見るものの色や形、明るさも今までとは全く異なった世界がそこにはあった。そしてDVDを見ながら、手術の様子を説明してくれた。そして、院長によって画面が止められた。
「この白眼と黒眼の間に幅2.7mmの創をいれ、ここから白内障部位の吸引をし、折り畳んだ眼内レンズの挿入を行います。」
そして再び画面を停止し、
「ここで少しですが後嚢破損がありました。白内障が進んでいて、水晶体を破砕するのに少し時間が掛かりましたが、眼内レンズを入れるのには支障はありませんでした。今年の後嚢破損は1件だけと思っていましたが、今年最終の手術でそれが起こりました。」と。
この後も数度画面を停止し、折り畳まれた眼内レンズの挿入やそのレンズを正常な状態広げる場面の説明があった。そして、術後一日後の経過は良好、との診断だった。
帰り道、助手席に乗り、琵琶湖や瀬田川に群れを成している鴨や、カイツブリを見て、鳥はこんなに綺麗だったのか、と感心したりした。同時に、もし、もう片方の左眼が正常になれば、どれほど綺麗な世界が眼前に展開するのか、楽しみにさえなってきた。

手術前の左眼の見え方は、上の写真のように対象物はぼやけて見え、その上に黄色のフィルタを通して見ているようだった。このことは、手術後にそのように思えてきたことだ。既に右眼は手術をして、見る景色が明瞭になり、色彩もシャープさも、長らく体験できなかったものを感じている。
2008年1月7日(月曜日)、森井眼科医院で、左眼の手術を受けた。左眼の白内障は右眼ほど悪くなっていなかったので、手術時間も10分弱で終わった。
翌日、眼帯を外し、ゴーグルのようなメガネをかけ、その週の12日(土曜日)、眼を守るためのゴーグルは必要なくなった。その日から通常の生活を送ることが出来るようになった。髪を洗うことも出来るし、自転車に乗ることも許可された。しかしまだ近眼用のレンズの処方は先になっている。だから、以前使っていたメガネを掛けてみた所、左眼は合っているようだが右眼は合っていない。それでも見ている世界は全く新しい世界だ。自転車に乗ることの許可も出たが、寒さが厳しいので、どうしても眼を守る意識が働き、未だに乗っていない。術後一ヶ月すれば激しい運動も出来る、というので今しばらく待つことにする。
この手術の折、森井医師が、右眼の焦点は手前から25センチ程の所に、左眼の焦点は、手前から35−6センチの所に合わせてくれたので、近くを見る時には、裸眼で健常者が本を読むように、ある程度の幅があって、いちいち本との距離を変える必要がない。だから、白内障に罹る前のように本でも新聞でも読めるようになった。これも森井勇介院長の配慮からだ。そして景色を見るとき、今使っている眼鏡は左眼だけしか合っていないが、この左の写真のように、はっきりと見える。
爺っつぁんのように還暦も既に過ぎた方で、ものが見え難くなっている方は、一度白内障の検査を受けられれば、と思う。
いずれにしても爺っつぁんは恵まれている。なぜなら、爺っつぁんにはホメオパシーのドイツの医師と共に、内科と外科の権威、奈良にお住いの鯨岡医師、兵庫県丹波市山南町の河原歯科医院、それに、滋賀県大津市浜大津にある森井眼科医院と知己を得たのだから。
2008年01月24日(木)  No.199 (医者嫌いが病に)

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